旅を行く 矢切りの渡しから野菊の墓(伊藤左千夫)


京成電車「柴又駅」を降りると「フーテンの寅さん」で有名な葛飾区柴又の帝釈天前の商店街に出る。駅前にはフーテンの寅さんが今にも旅立とうと茶色の鞄をもって出かける像が建っている。
  
ここから映画にでて来る妹さくらが待つだんご屋はすぐである。帝釈天前の商店街はいつも賑わっており店のおばさんが
だんごはいかが?
と声をかけてくる。
帝釈天の山門
商店街の突き当りには帝釈天の山門が構える
帝釈天の本堂は和尚が出てきそうな雰囲気を醸し出している。
帝釈天の横から江戸川の堤の方へ行くと寅さん記念館がある。

 柴又から矢切までのウオーキング。

みやげ物店の突き当たりにある帝釈天をさらにつき切って東へ行くと江戸川の堤防に出る。川の上流にはJR総武線の鉄橋が横たわっており、江戸川の堤防は南へ東京湾にまで伸びている。
その堤防から川岸へ降りると川向こうの矢切りへ行く渡し舟が待っている。自転車も乗せてくれるので地元の学生などは便利である。川の流れが速いので船頭はかなり苦労するようだが、そこは毎日の仕事だから手馴れたものである。
わずかな乗船時間で対岸にたどり着く。対岸の茂みを抜けるとそこは小説野菊の墓が展開される矢切村が見えてくる。畑のあぜ道は文学を訪ねる路として整備されており春先には、色とりどりの花で埋め尽くされウオーキングには良いところである。

矢切の渡し 江戸川の東向こうへは渡し船ですぐである。

矢切村に入り小高い丘を登るとそこに伊藤左千夫が描いた野菊の墓の記念碑が建っている。
この丘から今渡ってきた江戸川の堤防の向こうに、遠く富士山が眺められると小説にある。事実、冬の天気の良い日には富士山が眺められる。
小説野菊の墓の書き出しに次のように記述されている。
  「
僕の家といふは、矢切の渡しを東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村といっている所。崖の上になっているので江戸川は勿論中川までもかすかに見え、武蔵一円が見渡される。秩父から足柄箱根の山々、富士の高峰も見える。東京の上野の森だと言うのもそれらしく見える。村はづれの坂の降口の大きな銀杏の樹の根で民子のくるのを待った

 野菊の小道  矢切神社(大きな銀杏の木が植わっている)
野菊の墓文学碑 北総線矢切駅(地下)

帰りは、野菊の墓記念碑から矢切神社を通って北総線矢切駅から帰路につく。
記:高岡一眞