旅を行く
松山市内を坊ちゃんと歩く:高岡一眞


電車で松山駅に夕方に着く。坊ちゃんは船で来たと思うがさぞかし長い旅路であったろう。だが、電車で来てもやはり松山は遠いところである。
坊ちゃんは街の一流旅館 城戸屋に泊まったらしいがその宿は今は見当たらない。筆者は手頃な駅近くのビジネスホテルに宿をとる。

 
JR松山駅 三津と松山を走っていた軽便鉄道の模型

翌日は早速市内散策に出掛ける。
市電に乗って運転手さんに松山城へ行くにはどこで降りればいいですか?と聞くと
「大街道です。お客さん、停留所についたらご案内しますから。乗り過ごすことはありませんから。」
親切な運転手さんである。これならキョロキョロしないで済む。知らない土地の電車とかバスに乗ると降りる駅がまだかまだか予測がつかないので不安に襲われることがよくある。松山の人はみんな親切なのかも。暫くして
「お客さん大街道に着きましたよ。」
礼を言って停留場のホームに降り立つ。ホームと言っても人一人がやっと立てる広さである。
 松山城に昇るロープウエイの入り口はこのホームから道を横切った奥にある。
途中右手に好古兄弟の生まれた生家の看板が有りチョット立ち寄る。朝も早かったりすると開いていないこともあるが外からは眺めることが出来る

秋山兄弟の生誕地 松山城ロープウエイ乗り場

ロープウエイの駅はすぐにたどり着く。切符を買って入口まで入るとリフトも見える。
「ロープウエイは10分毎ですがリフトならすぐにお乗りになれますよ。」
ロープウエイの中でマドンナの案内を聴きたかったので少し待ってロープウエイを選んで乗り込む。少し待つとマドンナも乗り込んできてガイドと共に動き始める。数分で登るようなことを言ってる間にお城の駅に着く。リフトよりも早いスピードである。
 ここから天守閣までは少し上り道を歩かねばならない。坂道を上がる前の右手に正岡子規の句碑がある。

      
「松山や秋より高し天守閣  子規」


隠れ門 お城の石垣

城の石垣はかなり立派にそびえ立っている。
城の広場ではマドンナが写真を撮るサービスをしてくれる。
天守閣に登る料金所で番傘を借してくれる。
「日傘にすると良いですよ。」というので無料だし一本借り受ける。かなり派手な番傘であるが気にすることはない。中に入ると天守閣入口は石段を上ったところにある。靴を脱いでスリッパに履き替えて順路に沿って登る。
 天守閣に登ると松山市内が四方の窓から眺めることが出来る。船が着く三津港は西の窓から道後温泉は東の窓から大街道の街並みは南の方角にそれぞれ眺める事が出来る。修学旅行の生徒も混じって時間と共に混雑は少しひどくなる。

 
お城の広場 天守閣へ登る入口

帰りはリフトに乗る事にする。時間は少しかかるが風が爽やかである。
来た道を大街道へ戻る途中に大福を売っている菓子屋がある。店の中で食することが出来る。あんの中にクリームが入っていてかなり贅沢な大福であるが客が次々と買い求めており随分と繁盛しているようだ。
 電車通りに出て県庁の方少し行くと坂の上ミュージアムがある。中を一回り見学して出てくると観光ガイドのボランテアが居たので
「愚陀仏庵」はどこにあるのですか?」
と尋ねると坂の上の別荘の向こう側あったという返事で「案内しますよ」と言われてついて行く。
ガイドの話では坊ちゃんは市内一流の城戸屋旅館に暫く泊まって、その後この辺りにある料理屋の離れ愛松亭で下宿した。その後大街道の下宿屋へさらに移ったようだ。
戦後、萬翠荘の裏山に「愚陀仏庵」を建てたが、最近の大雨で流されつぶれてしまったらしい。

 
愛松亭の記念碑 愚陀仏庵(子規記念館にあるレプリカ)

時間もないのでガイドに礼を言って旧制松山中学に向かうことにする。電車は一駅であるが歩いてもしれている。電車が折よく来たので乗り込む。
勝山の停留所から東へ少しいったところに今は東松山高校に名前を変えて立派に建っている。
すぐ戻って、また勝山停留所から乗り込むと、電車の中には俳句投書箱が置いてあった。誰でも応募できるようだ。
箱の上には

「電車道を行けば近し稲の花  子規」
とある。
15分ほどで道後温泉駅にたどり着く。
駅の周辺には土産物屋もあり、坊ちゃんのからくり時計が時間ごとに演奏してくれる。
道後温泉は少し高台の旅館が多く 松山城も遠くに眺めることが出来る

子規記念館 正岡子規の旅立ちの像(子規記念館入口)
道後温泉の坊ちゃん列車とマドンナ 電車の中にある俳句投書箱
道後温泉駅の駅舎 からくり時計と駅員とマドンナ

宿の夕飯までにはまだ時間があるので子規記念館を見学して そのまま道後温泉に入る。入口で入場券を買って下駄箱に靴を入れて2階へ案内される。 
2階の案内係が浴衣と帯を入れたかごを持って
「ごゆっくりとお入りください。」
さっそく男湯へ階段を下りると脱衣場がある。脱いで湯に入る。数人の客が気持ちよさそうにしている。何人かは体を洗い流している。大理石で出来た湯船はへそのあたりまで湯があり普通の温泉よりは深い。
坊ちゃんが最初に入った時に泳いでみたようだが、一かき位出来そうな広さである。客のいない時を見計らって泳いでみる。なかなか気持ち良い。しかし前の壁には
「坊ちゃん泳ぐべからず」
と木札が掛かっている。
大きな湯口が真ん中に置いてあるがその湯口の大理石に山部赤人の万葉の歌が画かれている。読むのは少し難しいが「まあそうか」程度には感じられる。外人も時々見かけるが日本の温泉は評判が良いようである。
湯から上がると浴衣に着替えて元の2階席へ戻ると先ほどの若い女が茶を運んできてくれる。湯上りのせいもあるが一息にのどに流し込む。大変 美味である。
汗が乾いたら3階の坊ちゃんの部屋へ見学に出掛ける。掛け軸には
「則天去私」
とある


道後温泉の玄関 坊ちゃんの部屋(3階) 
夏目漱石 江戸牛込馬場下横町(新宿区 喜久井町)に
1867年に生れる。
1893年東京帝大卒後、東京高師の教師になる。
1895年松山中学、96年五校の教師になる。
1900年英国に2年間留学、帰国後一高、東京帝大の
    講師となる。
1907年朝日新聞社に入社。
1916年没。
記:高岡一眞、2016年
市内の地図